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妄想島ぐらし

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利尻への移住 -幼いころの記憶に導かれて


ある年の私の誕生日に、母からこのようなメッセージが送られてきた。

「私があなたを授かった時、私たち一家はちょうど利尻に引っ越してきたところでした。
あなたが生まれた日は青空の広がる、気持ちのいい日だったわ。
ゆったりとした空気が流れる利尻で、心穏やかにあなたを育てることができました。
あれから何年目の誕生日かしら。お誕生日、おめでとう。」

母の手紙にある通り、私は3歳ごろまで利尻に住んでいたのだがほとんど記憶にはない。けれども、夜眠りにつく時に母が語ってくれる利尻の話は、今でも鮮明に覚えている。空と海がつながったブルーの世界で、まるでおとぎ話のようだった。

「おとぎの国に、いつかもう一度行ってみたい。」
無意識のうちに、利尻島への憧れを育んでいた。

大人になり、神奈川県に住んで約10年。仕事はやりがいがあるし、忙しくも充実した日々だ。けれどもふと、虚しくなるときがある。そんなときは特に、利尻島への想いが募るのだ。

利尻島への里帰り旅


ついに降り立った生まれ故郷

昨年の夏、ついに利尻島の土地に戻ることができた。
目の前に広がる美しい光景や海の香り、幼少期からの想いと相まって、なんだか胸が熱くなる。「いつか故郷に戻りたい」というささやかな夢。それが現実のものとなり、なんともいえない感動を味わっていた。

旅の途中、島民の方と交流する機会にも恵まれた。
「利尻島には全く縁がなかったけれども移住してきた」という人や、「1ヶ月限定で移住している」という人もいた。見知らぬ土地に移り住むなんて、私には突拍子もないことに思えたが、一度きりの人生、気軽に試してみるのもいいかもしれない。
自分の知らない世界は、まだまだある。

やってみるか?

まずは今の仕事をやめなければいけない。これは大きな問題だ。
フィットネスインストラクターとして生計を立ててきたが、利尻ではそんな仕事はないかもしれない。しかし、自分で仕事を作り出すことができるのではないか、とも考えた。
「一生の決断」と思うと大きな勇気が必要だが、まずは数カ月程度の「おためし移住」をしてみるのもいいかもしれない。

利尻富士町への移住プラン企画


おいしい食事を前に、話が弾む

ひょんなことから島民の方と仲良くなり、食事に誘っていただいた。
「短期で移住するなら『昆布干し』の季節がいいんじゃない?」とのアドバイスを受け、身の上話や移住の話をしているうちに、自分の意思も固まってきた。

6月~8月は利尻で一番過ごしやすい季節だし、昆布干しのアルバイトもおもしろそうだ。フィットネスの仕事がすぐにできるとも限らないから、アルバイトがあればありがたい。自分の経験値が上がり、価値観だって変わるかもしれない。色々と悩んだが、チャレンジしてみようと決意した。

目の前にそびえる利尻富士も、どこまでも広がる雄大な日本海も、海に吸い込まれそうな美しい空も、私の決意を応援してくれているように感じる。
未知なる冒険に胸を膨らませて、利尻を後にした。

「日常がアウトドア」な利尻での暮らし


太陽に照らされた海が神秘的に輝く

早速会社に「短期移住をしたい」と相談したら、ありがたいことに「長期休職」という形で休みがもらえた。利尻ではゲストハウスを利用することにしたので、必要最低限のものだけをスーツケースにつめ、1週間もしないうちにまた飛行機にのっていた。

利尻に戻ると、島民の人たちが笑顔で迎えてくれた。私にとって、本当の故郷である利尻。今回は「帰ってきたよ!」という気持ちで、島の人たちと再会を喜び合った。

1時間半ほどのドライブで島を一周できてしまう利尻島。海はもちろん、「利尻富士」と親しまれている山もあり、島全体がフィットネスフィールドのようなものだ。
「自然との共生」なんて、都会で聞けば壮大な構想のように聞こえるが、利尻島でならごく普通のことである。キャンプ、登山、トレイルランニング、ダイビングなど、都会では贅沢な趣味も、ここでは日常だ。ご無沙汰しているサーフィンも、また始めたい。

そういえば、昔から自然の中で遊ぶ事や、体を動かす事が大好きだったなと思いだす。それが高じて、フィットネスインストラクターの道に進んだのだ。もしかしたら、幼いころ利尻の大自然で遊んだ経験が、潜在意識にあったのかもしれない。

すずめ百まで踊り忘れず。
大人になっても遊び方は変わらないのだ。

昆布干しアルバイトの合間にイベント企画


島の人達が力を合わせて、早朝から干される高級食材の利尻昆布

昆布干しのアルバイトは朝の5時に集合だ。お孫さんだろうか。中学生ぐらいの子どもも手伝っている。高級食材として有名な利尻昆布だが、とれた昆布がデパートなどに並ぶまでには、様々な工程がある。

とれたての昆布をまずは海水で洗い、その後、天日や機械で乾燥させる。熱風で素早く乾かす機械に対し、天日の場合はじわじわと乾燥させる。天日乾燥は機械に比べて手間がかかるが、当然、味は天日のほうがいい。
作業二日目は、室(むろ)で寝かせた昆布を取り込み、適当な長さにカットする。元は人間の身長以上の長さがある昆布だが、加工して初めて、都会の人が見慣れた使いやすい大きさの昆布になるのだ。

アルバイトで忙しい日々の中、折を見てフィットネス企画も実行してみた。島の人を招き、地元のカフェで「お茶会ヨガ」を試してみたところ、これが大好評!「新鮮で楽しいわね」と、幅広い年齢の方に参加いただけた。都会に比べて受講者数は少ないものの、他のインストラクターとの競争もなく、ある意味やりやすい。

お茶会ヨガの他にも、海辺での「サンライズヨガ」や「サンセットヨガ」なども人気が出てきた。仕事ができることもそうだが、こうやって島の人たちと関われることもうれしい。

移住期間を延長


私らしく、素直に生きていける利尻富士町

当初は2、3カ月間のつもりでやってきたのだが、「もっと長く住みたい」という気持ちが日に日に高まる。このまま都会に戻り、元の生活をするのがよいのか?そう自問すると、「利尻にとどまる」という選択肢しか残らなかった。

週末を使って神奈川に帰り、家族や職場に話をした。
「利尻に暮らしたい」と母に報告すると、自分もついていきたいぐらいだと、とても喜んでくれた。私が生まれたころの写真を見返してみると、海辺で遊ぶ母と私の姿が写っている。そこはまさに、私が今、島の人たちとヨガをしている場所だ。
このころから、利尻に戻る運命が決まっていたのかもしれない。

利尻で命を紡いでいく


利尻山で出会った花

ご縁がご縁を呼び、昆布干しで仲良くなった「地域おこし協力隊」の方と、本移住した翌年3月に、結婚することになった。

利尻富士町の役場で婚姻届けを提出。昆布干しが終わった夏の終わり頃、私たちは新しい命を授かった。

ずっと憧れていた利尻島で、まさか自分の子を産むことができるとは……。
若き日の父と母が利尻で知り合い、そこで私は生を受け、人生が始まった。そして今、新たな絆を紡ごうとしている。数年前のわたしには、思いもかけない展開だ。

利尻がくれたご縁に感謝をしつつ、これからも大自然の中で笑顔いっぱいの日々を送っていこう。

あとがき

健康運動指導士の資格をとり、フィットネストレーナーとして勤めること早や16年。都会に住む人が、健康的な人生を送るお手伝いをしています。自然の少ない大都会では、意識的に運動をしないと体がなまってしまいますし、頭を使うことが多い日常生活では、心身のバランスを崩してしまう人も少なくありません。

私が利尻富士町に訪れた時、島民の方の、生き生きとした表情が印象的でした。ご年配の方も「まだまだ現役!」という感じで、はつらつとしています。私もこういう風に年齢を重ねたい。そういう想いから、今回のエッセイを書かせていただきました。

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