妄想島ぐらし
島民に恩返しを! 利尻富士町に移住して「地域に貢献する宿」を開業
札幌で板前として働くこと約5年。ここ数年、自分の店を持ちたい気持ちが強くなっていた。しかし周りを見渡せば飲食店は飽和状態。他の人と同じことをやっても勝ち目がないのは明らかだった。「北海道には、美味しい食材がたくさんある。それを活かした個性的な店をオープンできないだろうか」。そう考えた私は、まだ見ぬ食材や生産者を求めて自転車で旅に出た。
お店を辞めて気持ちが解放されたおかげか、ペダルが軽やかに感じる。札幌を出発して十勝、釧路、根室に立ち寄り、オホーツク海を北上して稚内を目指す。訪れた土地でこだわりのある生産者に出会ったり、漁師に魚の美味しい食べ方を聞いたり、旅はとても有意義なものとなっていた。
稚内でミズダコの試食を終えて札幌に戻る準備をしていると、日本海に浮かぶ利尻島に思わず目を奪われた。澄み切った空の下に、青い島影が幻想的に揺らいでいる。「せっかくの機会だから、島に渡ってみるか」という気分になり、気がつけばフェリーに乗り込んでいた。
利尻島の玄関口「鴛泊港」に到着 <画像提供:利尻富士町観光協会>
初めて訪れる利尻島は、サイクリングや登山が好きな私にはパラダイスだった。何より都会とは違い、ゆっくりと流れる時間が嬉しい。利尻富士町鴛泊地区にあるキャンプ場にテントを張り、2、3日滞在するつもりだったが、気が付けばかれこれ一週間。思わぬ長期滞在に持ち金も底をつきた。
「これからどうしよう……」とうつむいていると、近くを通りかかったおばあさんに、「どした?シケた顔して」と声を掛けられた。
「時間があるなら、ウチで働けばいっしょ」とおばあさん。漁師の親方だという息子さんを紹介してくれるということで後をついていく。「親方」と聞いて不愛想な年配男性が出てくるのでは……と内心ヒヤヒヤしていたが、実際の親方は「爽やかなナイスミドル」という感じ。私を笑顔で迎えてくれた。
利尻では、6~7月に昆布漁が開始される。早朝から昆布を干し始め、午後2時以降に乾いた昆布を集めるそうだ。「短い時間で作業しなくてはならず、今の時期はネコの手も借りたいほどさ。明日から頼むね」と微笑みながら私の肩を叩く。この時は、まさか自分が利尻に移住することになるとは、夢にも思っていないかった。
バイトの期間は1ヵ月。早朝、テントを後にして作業場に向かうと、すでに大勢の人が集まっていた。石を敷き詰めた広場に昆布を広げて天日干し、午後に乾燥した昆布を一束にまとめる。想像以上の重労働だが、新鮮なウニに舌つづみをうったり、漁船に乗せてもらったり、島のナイトスポットに連れて行ってもらうなど、楽しい日々はあっという間に過ぎて行った。
荒波の中、コンブ漁が始まる <画像提供:利尻富士町観光協会>
旅から戻り、店のオープンのために札幌で物件探しなどを行っていたが、利尻で過ごした日々が頭から離れなかった。 無意識のうちに、利尻の魅力に取りつかれていたのだ。
よそ者の自分を家族のように迎え入れてくれた人々。ゆったりと流れる時間。そんな中で暮らしてみたい、そう思うようになっていた。
そんな気持ちを友人に話したところ、「それなら利尻に移住して、何かすればいんじゃね?」と、思わぬ返答が。旅行者として訪れることしか考えていなかった私は、友人の言葉で目から鱗が落ちたような気がした。
そうだ、それがいい。友人のアドバイスにピンときた。
そうとなれば善は急げ。島に移住するにあたって、必要なのは仕事探しを開始。人に使われるのが嫌で仕事を辞めたので、会社などに勤めるつもりはなかった。板前経験を活かして飲食店を開業することも考えたが、何かしっくりこない。そんなときに、「宿や観光関連は増加しているけど、漁業は高齢化と後継者不足で人が足りてないんだよね」という親方の言葉を思い出した。
利尻富士町、利尻町ともに人口が減少し、高齢化率も高くなっている。「どうせなら、島に役立てる仕事がしたい」と考え、「地域に貢献する宿」をオープンすることを思いついた。
祭りで賑わう利尻富士町・鬼脇地区
かつて利尻島は、ニシン漁で栄えていた。漁師の元締めである「網元」は、「ニシン番屋」という木造豪邸を構え、そこに多くの漁師が寝泊まりしていたと言う。在りし日の利尻を感じてもらうためにニシン番屋の改築を考えていたが、そのほとんどが取り壊され、現存する番屋は見当たらない。利尻富士町観光協会に相談したところ、「大きな番屋はないが、規模の小さな建物なら倉庫などに転用されている」とのこと。利尻では、聞けば誰かれともなく、親切に教えてくれるからありがたい。
それらしき建物を探しながら歩いていると、フェリーが発着する鴛泊地区から約20㎞離れた鬼脇地区に手ごろな物件を発見。鴛泊地区よりも宿が少ない上に、利尻山への登山道や、オタドマリ沼にも近い好立地だ。鬼脇地区は素通りされてしまいがだが、旧鬼脇村役場を利用した「利尻島郷土資料館」や創業100年以上の歴史を持つ菓子店、天然利尻昆布を汁に使った蕎麦屋など、隠れた名所や名店があるエリア。物件の持ち主を探し出し、格安で物件を譲り受けることに成功した。
利尻富士町みんなの力で宿が作られていく
肉厚なホタテも利尻を代表する味覚 <画像提供:利尻富士町観光協会>
物件のリフォームは、ニセコで宿を営む友人が手伝ってくれた。彼の宿はスキーやスノーボードを楽しむお客さんが多いので、冬は忙しく夏は暇になると言う。夏が忙しい利尻とはピークが真逆なため、夏は友人が私の宿で働き、冬は私が友人の宿で働くことにした。
観光シーズンのオープンを目指し、雪解けとともにリフォームを開始したが、たった二人では思ったように作業が進まない。そんな様子をSNSで発信すると、「手伝いますよ」と、島を訪れた旅行者が立ち寄ってくれた。
正直、とてもありがたい。協力してくれた人には、いつでも泊まれる宿泊券をプレゼントしたのだが、それが評判を呼び、たくさんの人の力を借りることができた。
最初は遠巻きに見ていた鬼脇地区の方々も、宿を作っていると知り、建材や食料を提供してくれるようになった。ひとりで始めるはずだった宿だったが、友人をはじめ、大勢の人の協力を得て、感謝の気持ちで胸が熱くなっていた。
新鮮なホッケを味噌で焼く「チャンチャン焼き」 <画像提供:利尻富士町観光協会>
観光シーズンを迎える6月1日に、ようやっと宿がオープンした。廃屋から使える木材を再利用したシンプルなゲストハウスだ。親方や友達から贈られた花に囲まれ、この日を迎えた喜びがジワジワと湧き上がってくる。
ところどころに昭和初期に使われていた木製の漁具をディスプレイし、ニシン番屋のイメージを強く押し出す。中央にはいろりを配し、それを囲むように6畳ほどの客室をレイアウトした。訪れた人には、ここで利尻のおいしい海鮮を味わってほしい。
浴室には大きな丸太を掘り抜いた浴槽を設置。屋根を開閉式にすることで、露天風呂の機能も持たせた。海に近いため、湯につかっていると潮騒が聞こえてきてとてもリラックスできる。きっと旅人も喜んでくれるに違いない。
宿泊者が多いときは、ドラム缶を半分に切ったコンロを宿の前に出してバーベキューをしよう。殻ごと焼くアワビやホタテ、ツブやウニ。ホッケに味噌をつけて焼く「チャンチャン焼き」。シンプルな味付けで素材の良さが堪能できる。島民はバーベキューのことを「焼き台」と呼び、人が集まると必ず行われるイベントだ。
昆布を石に広げて天日干し <画像提供:利尻富士町観光協会>
旅人の中には、「お金はないけど、時間はある」という、私のような者も少なくない。利尻の観光シーズンはコンブ漁の時期と同じということに着目し、観光と労働をつなげるアイディアを思いついた。
宿の予約をパソコンですると、同時に昆布干しや土産物屋などの短期バイトに申し込めるオンラインシステムを開発。地域には労働力を、旅人には利尻島らしい体験を提供することができる。仕事をすることで賃金が発生するので、お金の心配をすることなくゆっくり滞在し、島の生活を楽しむことができるというワケだ。
滞在しないとわからない良さがある <画像提供:利尻富士町観光協会>
「こんな破天荒な宿にお客さんが来るのか?」という大方の予想を裏切って、初日は満員御礼でスタートを切ることができた。リフォームを手伝ってくれた人たちに混じって、SNSで宿を知って早々と予約してくれた人もいた。
「自分たち以外にも、宿のオープンを心待ちにしてくれた人たちが大勢いる」。
そう思うと涙で何も見えなくなっていた。
口コミやSNSで話題となり、お客様のほとんどが島の仕事体験を希望。人手不足解消に気をよくした親方が、新鮮な魚介とビールを抱えてやってきたり、島の若い人が同年代との交流を求めて遊びに来たりすることも多く、いつも賑やかだ。
けなげに咲くリシリヒナゲシ <画像提供:利尻富士町観光協会>
今日もまた、お客さんがやって来る。リシリヒナゲシに負けない愛嬌でおもてなししなくては。「これからもずっと旅人と島の産業を結ぶ懸け橋でありたい」。そんな思いを胸に秘めて、フェリーターミナルに向けて送迎車を走らせるのであった。
あとがき
私は2003年2月から2007年3月まで利尻富士町・鬼脇地区に住んでいました。今回のエッセイを書くにあたり、「ニシン番屋の宿があったら素敵なのに」、「島の仕事を体験出来たら面白いだろうな」など、と当時考えていたことをエッセイにしてみました。
物語は架空ですが、鬼脇地区にある菓子店や蕎麦屋など、実在するお店なども紹介しています。ぜひエッセイの世界で暮らしてみてください。